井原市七日市町の内科・小児科・皮膚科 ほそや医院

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則天去私

 私の書斎の南側には一枚ガラスの大きな窓、続いてウッドデッキがある。右前方に丸いテーブルが置いてありそこには郊外用の椅子が4脚備え付けてある。ウッドデッキを囲むように芝生があって、右斜め前にはケヤキの木が聳えている。芝生の向こうには土塀が家の周囲を占め、その土塀の前にはシラカシの木が生垣として植えてある。自宅を建ててくれた設計士の説明によると、書斎の椅子に座って南側を見ると窓、ウッドデッキ、芝生、シラカシそして山と空が連続して見えるように設計し、周りの住宅や道路が見えないように工夫したらしい。
 このロケーションを私は少し贅沢なコルビジェの椅子に座って四季折々の景色を楽しんできた。緊急事態宣言が解除されたので久しぶりに知人3人で食事会をした。雰囲気に負けてついつい飲みすぎてしまった翌日の日曜日の朝、この椅子に横たわり手枕をして広くて大きい窓から外を見た。山の稜線に目をやると緑の山肌の一部に色の変わっているところがある。恐らくは紅葉が始まっているのだろう。続いて目を空に向けて、単調な青い空を暇に任せてぼんやりと眺めていると単調な空の色も刻々変化するのに気が付いた。青い空が次第に白くなり雲が現れその雲の上にまた雲が重なる。その雲が亀のようにも見えるしクジラのようにも見えてくる。椅子に横たわることに飽きた私は庭に出てみた。ケヤキの色づいた葉っぱが芝生の上に散らばって落ちている。その上で大きく両手を挙げ二度三度回した後深呼吸をした。この時、うそ寒さを感じた。そう言えば、『徒然草』の中に「夏果てて秋のくるにはあらず」この文は、別に季節のことだけでなく人事や仕事すべてにあてはまる。つまり、「夏が終わって秋が来るのではなく、夏のうちにすでに秋の気配は作り出されている」事業に成功して栄花の頂点に立っていてもすでに失墜の気配が始まっているのだ。大きな会社を経営し業績も最高潮になっていてもすでに瓦解が始まろうとしているかもしれない。これと同じような話が「風姿花伝」の中に「時分の花を真の花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり」という一節があるがこの意味は今もてはやされているのは若さゆえでこれは真の実力ではないのでうぬぼれることなく稽古に邁進すべきと観阿弥が息子の世阿弥に諭した言葉だと言われている。
 ところで、最近私は、高校生の頃の愛読書の漱石をまた読み返している。吾輩は猫であるから始まって、門、こころ、道草、虞美人草、三四郎など数か月で読破できた。高校時代に感じていた漱石と今感じる漱石は別人のように思う。さて、漱石にまつわる言葉として「自己本位」と「則天去私」は有名である。私も物心ついたころから自己中心的な生き方をしてきたと思う。思えば、有機化学の大学院を修了し勤務していた会社を辞めてまで医者になったことも自己本位の塊と思う。これまでいろんなことに遭遇し、失敗もしたし成功したこともある。数々の因縁を消化し72歳の現在がある。
 漱石の言う則天去私とは「小さな自分にとらわれず、天や地に身をゆだねる。つまり、自己の都合や利益、立場を捨てる。」と言うこと。私も晩年は是非ともこうありたいものだ。