井原市七日市町の内科・小児科・皮膚科 ほそや医院

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いつか来た道

 5月初旬のある日の午後、私は山陽本線糸崎行きの車窓から尾道水道を眺めていた。尾道市と今治市を結ぶ瀬戸内しまなみ海道の最初の橋である尾道大橋が見えてくると電車は大きく左にカーブして尾道造船向島工場が眼前に現れてくる。海面は天気が良いためかキラキラ光って白く見える。まるで、無数のトビウオが海面ではねているようだ。私はこの場所をこれまでに子供の頃からするとそれこそ数えきれないほど通過している。ある時は、憔悴しきった自分が真っ暗な海の中に浮かぶ漁火を見ながら、またある時は、脳梗塞で倒れた父親を見舞うため夕暮れのオレンジ色に染まった海を見ながら、それからある雨の日、窓ガラスに水滴が左上から右下に玉突きのように移動している窓越しにどんよりと灰色をした海面を見ながら通過したことを思い出していた。林芙美子の放浪記の一説「海が見えた。海が見える。5年ぶりに見る、尾道はなつかしい。」を車窓からの景色を見ながら口ずさんでいると電車は尾道駅に滑り込んだ。改札口を出た私は大きく息を吸い込み背伸びをした。向島に渡る渡船を横目で見ながら海岸通りを西に向かう。

 しばらく歩くと直に通称「桜土手」に出た。ここを歩くのはそれこそ何十年振りだろうか。栗原川の両土手には桜の木が植えてある。やたらと生い茂った緑の葉っぱが目に飛び込んでくる。春にはそれこそ桜の花が咲きとても綺麗だろうと思いながら歩く。子供の頃はこの川で泳いだり、どんこを釣ったり、ウナギの仕掛けをして、朝に仕掛けの竹筒の蓋をワクワクしながら開けたことがついこの前のように思う。それにしても、この辺りはこんなに狭かったのか、川もこんなに浅かったのか、土手もこんなに低かったのか、何もかもが目の前の景色が小さく見える。やがて、細谷家の墓の前に着くと顔が汗ばんでいるのに気が付いた。細谷家の墓は高台にあるので私の実家や千光寺のある山並み、市街地が一望できる。墓の前にしゃがんで一つ咳をして、しばらくの間墓参りをしてないことを詫びた。私の近況や妻、子供たち、孫たちのことを取り留めもなくつぶやいていると横からひんやりした風がすーと通り抜けていく。ちょうど良いタイミングだと勝手に解釈して、高台を降りていく。細い傾斜のある道を下り、先ほどの桜土手に戻る道すがら私は下に記すようなことを考えていた。

 人生を山歩きととらえるなら、真っすぐに頂上を目指すのもよし、裏のほうから這い上がってそこで滑り落ちたり休んだり、きれいな植物に出会ったりするのもよし。道草をしながら違ったルートを探すのもよし。私もこの6月で72歳となる。この原稿を書いているときに田村正和さんの死亡のニュースを聞いた。77歳という。思えば私の5年後である。そろそろ私も下山の準備をしなくてはいけない。こんな事を思っていると、私のイヤホンからさだまさしの「主人公」が流れてきた。

 ・・確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる そうでなきゃあなたにとても とてもはずかしいから あなたは教えてくれた 小さな物語でも 自分の人生の中では 誰もがみな主人公・・私の人生の中では 私が主人公だと この歌詞が私の頭の中で反芻していた。