井原市七日市町の内科・小児科・皮膚科 ほそや医院

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高校卒業50年 - ほそや医院

 1949年6月18日生まれの私は今年の3月で高校卒業後50年となる。山陽本線で尾道から福山まで電車通学をしていたのが50年前。その当時は電車というより汽車で時には蒸気機関車で通学したように思う。ちょうど今年は私の入局した岡山大学医学部第三内科が50周年となるため企画として50周年記念誌に投稿するように依頼された。その内容を一部変えて掲載する。

 私は幼少期を広島で過ごし、銀行員であった父の転勤で尾道に移り住み高校卒業まで過ごした。
化学に興味を抱き大学院ではニッケル錯体を触媒としてビシクロブタンの開環の反応機構を野依教授の指導で解明した。

 昭和50年に会社に就職するも仕事に失望し、物質の変化を扱う化学よりも感情を持っている人間の命を預かる医師の仕事を一生やり遂げようという思いが日に日に強くなり妻に相談し会社を辞めた。3年間予備校の教師をしながら医学部受験勉強をした。55年に運よく山口大学医学部に入学できた。
5月に長女が生まれ3歳になった長男と4人で山口での新生活が始まった。家内の実家の援助もあり6年間の学生生活を何とか無事に終えることができた。

 平成2年の4月から2か月間、岡山大学医学部附属病院本島分室勤務をした。この時は宿舎が海の傍だったので診療以外は釣り三昧だった。一度だけ漁船に乗って脳梗塞の患者を丸亀まで搬送したことがある。言わばドラマ「Dr.コトー」のような生活をした。本島から帰局してからは高血圧自然発症ラットのバソプレシン受容体の局在をオートラジオグラフィーの手法で検討する仕事をした。

 7年2月1日に医院継承という形で井原市で開業した。この開業はほんの偶然が作用し私自身何も開業の勉強もしていなかったしまるでどこかのネーベンでも行く感じでスタートした。無論職員は全員引き継ぎ看護師と事務員各一人私が採用した。11年5月にこれまで賃貸でやっていた医院を出て、自分で現在地に医院を建て名実ともに「ほそや医院」となった。診療科目に内科・皮膚科・小児科を標榜した関係で小児から老人まで幅広い患者層が当院に来てくださるようになった。早、我が医院も丸22年が経過した。

 そろそろ世代交代を考える時期が来た。幸い長男武史が第三内科でお世話になり教授の御配慮で週二回手伝いに来てくれている。将来はほそや医院の院長に治まってもらう予定である。