2026/08/21
私は真夏の入道雲を見るのが大好きである。往診車で山間部に差し掛かった時、前方に見えるあのモクモクとした入道の頭の形をした雲、診察室の窓から見えるかなとこ雲、そして夕方に現れる茜雲、それからもう一つ、我が家の庭先で見える秋の入道雲いずれもただただ美しいばかりでなく時には哀切を感じてしまうのは私だけであろうか。
最近、私は夢を見た。夢の中の私はまだ医学部の学生であった。真っすぐな道の両側には田んぼがあり前方には大きな入道雲が空いっぱいに広がっている。その入道雲の間に澄み切った青い空が見え隠れしている。私はその入道雲に向かって一生懸命自転車のペダルを踏んでいる。足が疲れてもうペダルを踏めなくなったその時大きな病院が見えてきた。私は自転車から降りて這うようにして病院に入って行った。ここが私の勤める病院だと夢の中で呟いている自分がいた。夢の続きはこうである。茜雲の下を初老になった私たち夫婦が由比ガ浜の堤防沿いの道を連れなって歩いている。「秋にはしばらく海外旅行していないので香港に行ってみないか」と私が話しかけると「そうですね。香港を旅行するのは秋が一番らしいのでこの秋に行ってみますかね」「ネイザン・ロードやヴィクトリア・ハーバーを散策出来たらどんなにか素晴らしいか」と私が答えている。そこで目が覚めた。
ここで、夢について総論的な話を自分なりに調べてみたので以下に記載してみることにする。「夢」は小説や宗教さらには脳科学まで様々な分野で取り上げられていることは皆さんもご存じのことと思う。夢はレム睡眠の時によく見る。レム睡眠の時、脳はよく活動しているが筋肉は弛緩している。つまり、脳は活動しているけれども身体は眠っていることになる。こんな特殊な状態の時に映像的・感情的な体験として夢を見るのである。夢の発生機序としては次のようなものが考えられる。第一として記憶の整理が挙げられる。最近あった人、昔の記憶、見聞きした映像を睡眠中に整理する。第二に感情処理つまり不安・緊張・悲しみ・欲望・後悔などの強い体験は夢に出やすい。第三として心理的影響で不安・ストレスで代表的な夢として追いかけられる・遅刻する・落下する・試験に間に合わないなどがあるが読者の皆さんにも心当たりはあると思う。夢と言うものは論理の断絶があるのが特徴だが私は夢のその不合理さがかえって人間の心理の深層を映していると考えている。
私が今回見た夢を自分なりに分析してみた。入道雲は真夏の空に発生してそれを見ていると何となく明るい気持ちになる。夕方になると入道雲が赤く染まり茜雲となる。これを見ると何となく心が沈む。そして入道雲が出ると通り雨もよく発生する。入道雲と言うものは一人の人生を表しているとも考えられる。午前中の入道雲は若者が希望に満ちて夢に向かって邁進している状態。通り雨は中年になって心が迷っている時期そして茜雲は人生の終わりに近づく我々を反映しているのではなかろうか。結局のところ入道雲は人生の盛りと衰えそして命の有限さを表していると思えて仕方ない。
今回の夢を正夢ととらえて家内と今年の秋か来年かどちらかで香港・マカオの旅に行きたいものだ。今年になれば喜寿旅行としては最高である。