2026/04/13
2月21日からの3連休を利用して私は高血圧症に関連する薬の全国規模研究会に参加するために上京した。全国から1800人もの医師が参加した。久しぶりに講演を聴いて多くの示唆を得て充実した時を過ごせた。講演会の後、私は鎌倉まで足を延ばした。鎌倉にはある時は一人でまたある時は家内と一緒に何回となく訪問している。今回は鎌倉駅発のバスで長谷寺に向かった。長谷寺には多くの観光客が詰めかけていた。今更のように外人観光客の多さに驚いた。山門を入ると紅梅と白梅のしだれ梅が見事に咲いていてその美しさにしばし時を忘れた。観音堂をお参りした後、眺望散策路の入り口から急勾配の石段に歩を進めた。数年前に家内とこの散策路を登っていると40種類もあるというアジサイの花に出迎えられた心地がしたものだ。石段を登りながら私は正岡子規の「紫陽花や昨日の誠今日の噓」の句を口ずさんだ。この句は紫陽花の色が変わる様子に人の心や世の移ろいを重ねていると思う。ここに記載してある移ろいとは文学的に言うと無常ということになるであろう。もう一句紹介しよう。「紫陽花の七変化して人も老ゆ」紫陽花の花の色は土壌によって色が変化するように人生も環境やその人の能力によって大成する人とそうでない人に分かれてしまうのだろうと石段を下りながらそう思った。見晴台に着くと眼下に由比ガ浜の景色が広がっていた。弧を描くように広がっている由比ガ浜のきらめきは圧巻でその場を立ち去りがたかった。この後、私はスマホのマップを見ながら由比ガ浜を目指して歩き出した。これまでは何度も由比ガ浜には観光タクシーに乗って訪れている。今回のように歩いての訪問は初めてであった。歩くことで発見も多々あったのはとてもよかった。スマホを頼りに歩いていると雰囲気の良いカフェを偶然発見したり、モダンな庭付きの家を観察出来たりしたことは観光タクシーを利用せずに歩いたことへのご褒美と思った。
由比ガ浜に到着した私は堤防から下に降りて砂浜を歩きだした。風にあおられながら海の向こうを見ると10人ぐらいのサーファーたちが見え隠れする。白波が音を立ててこちら近づいてくる。まるで、海そのものがまるで生き物のように躍動している。ふと横を向くと小学生たち数人で砂浜に池を作っている。その中に捕まえたカニを入れて遊んでいる。そう言えば私もこの子たちと同じ年頃のころ友達と海水浴に行って砂浜に城を作って遊んだ記憶が蘇ってきた。実に65年前の光景である。東方向に歩を進めていたら砂を含んだ風が吹いてきて顔面にあたり痛みを感じた。初めての経験である。顔を左に向けるとあることに気が付いた。それは幾筋にもわたり風紋が出来ているではないか。以前鳥取砂丘で見たものより山が小さいように思った。誰の句か忘れたが「風紋や誰が面影もすぐ消えゆる」この句のように風紋はすぐに消えてしまうものである。実際のところ私が見ていても風紋はすぐに消えてしまった。儚さや、寂しさ、去った人への思いがこの風紋のように消え去れば私の気持ちはどんなにか楽になるであろうと心底思った。
私は鎌倉を後にして学生時代を過ごした名古屋を訪れた。名古屋名物の味噌カツと手羽先を食べた後に思い出の東山公園を散策した。テレビ塔前の公園で鳩と戯れそして都会の喧騒を久しぶりに味わった。