井原市七日市町の内科・小児科・皮膚科 ほそや医院

0866-62-1373

〒715-0014
岡山県井原市七日市町102

メインメニューを開く MENU
一陽来復 - ほそや医院

久しぶりに庭に出てみた。それと言うのも末娘の予定より早い出産で妻も私もバタバタしていた。7人目の孫も元気に退院して我が家に帰ってきた。久しぶりに聞く赤ちゃんの泣き声はなぜか心を和ませてくれる。赤ちゃんが我が家にやってきた最初の日曜日は寒い冬も終わりを告げるようなぽかぽか陽気だった。庭に出て空を見上げると青い空と澄んだ空気、綿菓子のような白い雲が私を包んでくれた。ケヤキの木に近づいてみると細い小さな枝先に芽吹きが始まっていた。次にハナミズキに目を向けるとここにも丸い蕾がついている。そして、玄関横の花壇の中に植えている的皪な花の沈丁花を見ると白色をした十字の花びらが咲き誇っているではないか。そして、お香の匂いを醸し出しているではないか。この3週間は娘のことで忙しく余裕がなかったので、庭をゆっくり眺めることもなく玄関を出ると一目散に車に乗り込む生活をしていた。沈丁花と言えば新川和江さんの沈丁花と言う詩が思い出される。そこで、この詩を紹介してみよう。「散歩のコースに それを咲かせた生垣があるらしく 亡くなった年の春先も 戻った夫の胸ポケットには 一りん それが押してあった 沈丁花ね ともいわず 沈丁花だ ともいわなかった 会話を失って久しい夫と妻のあいだを 戸惑う様に花の香りだけがゆききした 実利のみ追いつづけ 病を得てかたくなに老いた生涯を その一りんゆえに 妻はゆるしていたのだったが 詫びるのはむしろわたしのほうだったと 妻がきづいたのはその一りんを 見ることがなくなった没後の早春のことだ 生前よりていねいに 茶を入れて供えるようになったのも その春からのこと」私は新川和江さんの詩集をいつだったか忘れたが書店で偶然手にして購入した。時々本棚から引っ張り出して読むことがある。この沈丁花と言う詩も読み返せば読み返すほど長年付き添った夫婦の機微に触れることができるので私はこの詩を大切にしている。

時計の針を逆に回してみよう。私がサラリーマンを辞めて30歳で医学部に入学したときは3歳の長男と入学してすぐ生まれた長女の4人家族であった。大学には私と同じように大学を卒業しいろんな仕事を経験してきた人が私を含めて13人いた。これらの人たちと入学するとすぐに長老会という組織を作った。そのメンバーの中には私と同じように理学部大学院を卒業した人が3人いた。この会は卒業まで続き、勉強ばかりでなく遊びも家族ぐるみで参加し大学時代をこの長老会のお陰で楽しく過ごせた。私が医学部5年生の時に次女が生まれ5人家族となった。当然生活は金銭的にも大変ではあったが家内と子供たちも頑張ってくれたおかげで今思えばこの時期が私の人生で一番輝いていた時期と思う。そして、家族のお陰で患者さんに寄り添う医者になる夢を叶えることができたことが私にとって望外の喜びである。

再入学して医師となって早38年が経過した。この間に、医師としていろんな経験をさせてもらった。大学病院の患者さん、地方病院の患者さんそしてほそや医院の患者さんを通して私は該博な知識をえることができたことは至福の極みである。

時計の針を元に戻してみると、新型コロナも4年目を迎えてやっと落ち着いてきたように思う。マスクの着用も3月13日から厚生労働省は個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本になると発表した。そのためか、街を歩いてもマスクをしていない人が目につくようになってきた。新幹線に乗ってみても外人さんが乗車していることに気が付くことも多々あるよう思う。また、海外旅行も本格的に始動しだした。日本医学会総会2023東京は4月にハイブリッド形式で開催されることになった。この様な状況を見ていると確実に脱コロナは始まったように思う。昨年の4月に私は3年目を迎えたコロナの生活からくる閉塞感から桜行脚の秋田・新潟ひとり旅に出かけた。角館の武家屋敷の散策と桧木内川の桜、乳頭温泉郷の中にある秘境黒湯温泉で残雪を見ながら入った露天風呂、田沢湖畔で見た可憐な水芭蕉の群生、新潟に向かういなほ号から見た雄大な鳥海山そして万代橋から眺めた信濃川の美しい景色を一年が経過した今でも鮮明に思い出す。この3年間いろんな面で制限され息苦しさを味わったのでこの春からは一陽来復をついつい期待するのは私だけであろうか。   

これからの人生、小春日和ばかりでなく木枯らしの日も雪の日もあるだろうが先のことを心配するよりも、今を大切に生きようと思う。私は酒が好きで毎日晩酌をしている。今の私の心境は「今宵酒あれば今宵のみ、明日愁い来たらば明日愁う」と言ったところか。