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万事塞翁が馬

万事塞翁が馬 院長ブログ
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紅梅とヒヨドリ

 2月中旬、いつもより少し暖かかったので家内と近くの梅林に出かけた。門をくぐると左前方に赤と白のまるで綿あめのような景色が現れた。4,5百メートル進んでみると見事に満開になった紅梅と白梅が目に飛び込んできた。あまりにも美しい紅梅の木を眺めていると、花のついた小枝が微妙に揺れているのに気が付いた。不思議に思って目を凝らしてみる。すると、なんとヒヨドリがさかさまになって花の蜜をついばんでいるではないか。ひとしきり見ていたら、ごちそうに満足したのかヒヨドリ君は飛び去った。
 私が何故紅梅の枝にとまって花の蜜を食べている鳥をヒヨドリと分かったかというと実は5,6年前に我が家の裏庭の窓の傍に植えている何本かの八つ手の木の一本におわん型の巣を作った鳥がいた。巣ごもりしている鳥をこっそり写真を撮って調べたことがある。その鳥は「ヒヨドリ」と言って、生態は里山や公園などある程度樹木のある環境に多く生息し泣き声は「ヒーヨ!ヒーヨ!」などと甲高く鳴く。繁殖期は5-9月と書いてあった。このことのお陰で私は目の前の野鳥をヒヨドリと認識したのである。話はまた過去に戻るとしよう。窓の傍に巣を作ってくれたお陰で毎日私はヒヨドリを観察できた。ある日4羽のひなが口を開けて親鳥の運んでくる餌を待っているのを目撃した。それからというもの帰宅したときはもちろん朝に夕に巣を見るのが日課となった。事件が起きたのはヒヨドリが孵化して7日目に起きた。隣の医院から我が家に帰ってくると愛犬メロンが窓に向かって吠えているではないか。ただならぬ雰囲気なので窓から外を見ると猫が八つ手の木の下で巣を見上げている。私はとっさにひな鳥たちが襲われると思い外に出て猫を追い払った。またある時は親鳥が甲高い鳴き声で猫を威嚇している場面に遭遇したことがある。私たち家族とメロンの監視の成果で、無事にひな鳥たちが巣立っていった。それからしばらくして、医院の屋根の上にヒヨドリが留まっているのを目撃したことがある。ヒヨドリはひな鳥が巣立った後、その巣に戻ってくるという習性があると何かの本に書いてあったが今見るこのヒヨドリ君が親鳥かどうかは分からないがそう思いたい自分がそこにいた。
 紅梅と白梅の並木道を家内と肩を並べて歩いていると後ろからさっと冷たい風が私達を追い越していった。その時、何故だか夕ご飯のことが気になってきたので家内に相談すると天ぷらが食べたいという。私は携帯を取り出し、なじみの店に電話を入れるとすぐに予約が取れた。コロナ禍だから店も暇なのかもしれない。店に入ると客はいなくて、大将が笑顔で迎えてくれた。しばらくしてからもう一組の夫婦がやってきたが、私達が帰るまで8席のカウンターは4人の客だけであった。日本酒と美味しい天ぷらそして、締めの天茶漬を堪能した私たちはほろ酔い加減で店を出た。
 院長を息子に譲った後は「あれもこれも」と思っていたが、コロナ禍では何もできないという閉塞感ばかりが私の周りに漂っている。この「どうにもならない」という受動性こそ、「無心」という境地だと仏教哲学者、鈴木大拙は述べている。このことを私はぬるめの風呂に浸かりながら、「絶対的受動性」を受け入れようと心底覚悟した。

2021-03-11 08:00:00

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落葉帰根

 10月中旬ごろから我が家の庭にあるハナミズキ、ヤマボウシ、エゴノキ、ケヤキ、モミジが順番に紅葉してくる。早春にエゴノキ、ケヤキの芽吹きはいつも感動する。一見枯れ木の様な枝から芽吹いてくる様子は何と表現したらよいのか言葉が見つからない。どことなく茶色のひげのようにも見える。それから7日経過すると薄緑色の葉っぱの形が出来上がる。さらに10日たつと数センチの葉っぱに成長する。さらに10日たつと10センチの普通の葉となる。そうなると、いかにも新緑の気配がある。風が吹くとその葉っぱを通り抜けた風はとても気持ちが良い。青葉アルコールの臭いはこんなものかと思うことがある。5月になるとハナミズキが白い花を咲かせる。4枚の白い花びらがとても愛くるしく感じる。それから、玄関前のエゴノキの可憐な白い花がうつむき加減に咲いている。6月に入り雨が降ると花が散ってそれがエゴノキの幹の周りに植えているクリスマスローズの葉っぱの上に落ちてまるで雪化粧のようである。ハナミズキやエゴノキの可憐な白い花が散ってしまうと暑い夏となる。芝生が燃えるような青みを帯びてきて、ケヤキや垣根となっているアカメの木(オオカネメモチ)そして青モミジと木々の緑色がなんとも言えない清涼感を与えてくれるのが嬉しい。やがて、10月になると私の出番がやってくる。というのも、ハナミズキやエゴノキが紅葉してきては順番に落葉となり地上に落下する。朝食前に庭に出て熊手で落ち葉を拾い集める。落葉拾いに疲れると池に居るメダカたちに餌をやる。メダカたちも私が庭を掃除し始めるとそわそわと水面に浮いてくる。そして、水面をもうすぐもらえる餌を期待しながら泳いでいる。11月になるとケヤキの紅葉が始まる。私は毎年芝生の一面にケヤキの落ち葉が絨毯のように敷き詰められるのを見るのが大好きなので芝生の上の落ち葉はしばらく掃除しないことにしている。ケヤキの落ち葉の形そして色彩、一つとして同じものはない。落葉を一枚一枚観察してみると虫食いのあるもの、まだ緑が半分以上残っているもの、真っ赤に染まっているもの、黄色が主であるもの、茶色と赤の混じったものなど表現すればきりがないほどの落ち葉なのだ。その落ち葉でできた絨毯、見る時間帯、夕方、日没前、早朝、雨の日、全く別物に見えるのが不思議である。雨の日に見る落ち葉の絨毯は私を感傷の国へ導いてくれるし、早朝に見ると希望の国に連れて行ってくれる。昼間に見ると安らぎの国へ案内してくれる。
 落ち葉を眺めているとお前たちも生まれてきて暑い時も雨降りの時も台風の時もよく頑張って耐えてきたな。もうそろそろ根に帰る準備をしたらどうだとついつい声をかけてしまう。

2020-11-26 10:37:31

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コロナ下の立ち止まり

 2月に3,711人の乗員乗客を乗せたダイアモンドプリンセス号内で新型コロナウイルス感染症の集団感染が報告されたときはまだ他人ごとごとのようであった。しかし、今はどうだ。世界中で新型コロナが大流行し、大変な事態になってしまった。経済は落ち込み、失業者も増加し、コロナ倒産の話も聞こえてくる。私も新型コロナのお陰で完全に立ち止まってしまった。
 もしもコロナの発生がなかったなら、東京オリンピックのゴルフ観戦をしていたし、9月には福島で開催だった臨床内科学会に参加しその足で秋田まで足を延ばして、知人に会う予定であった。そして、来年は世界糖尿病学会がトロントで開催されるのでカナダ・アメリカ旅行もひそかに計画していた。今となってはどれもかなわぬ夢となってしまった。
 3月は30数年ぶりのめまいで4日間仕事を開業以来初めて休んだし、4月は人生初めての入院を経験した。幸い、4月5月はコロナの影響で受診抑制もありそんなに忙しくなかったことは私にとっては幸運であった。6月に入るとストップしていた検診も再開されたし井原市ではコロナが発生してないこともあって患者様は昨年の同時期よりも増加し忙しくなった。
 いつまでも立ち止まってばかりはおられない。何事も始まりがあれば終わりは必ず来るものだ。おそらくコロナの流行も必ず収まるはずだ。
 この原稿を書いている書斎の窓からウッドデッキとその向こうに芝生の庭が見える。真夏の太陽が容赦なく照り付けているその下で、孫3人がシャワープールを楽しんでいるのが見え隠れする。13日から16日まで医院の夏休みであるが特に何も予定がないので家でゆっくり読書を楽しもうとアマゾンで数冊注文した。
 いつまでも立ち止まってばかりはいられない。前に進まなければと思う。副院長である息子とコロナ下での診療をどうすればよいか。お互いに意見を出し合っている。その一つに発熱患者さんを診察する建物を駐車場に設置し、そこで必要な人に安全に検査できる方法を検討している。何があっても私達医師は患者さんの健康を守り適切な治療をする義務があるのだから。
 部屋の外からセミの大合唱が聞こえてくる。ふと、子供の頃昼寝から目が覚めどことなくけだるい時に縁台の上で冷えたスイカを食べていたことを何故か思い出していた。もう60年以上前の光景である。

2020-08-19 13:17:11

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尊厳死

 朝食をとりながらテレビを見ていたら、緊急事態宣言が解除された地域の報道をしていた。湘南海岸、渋谷ハチ公前、そして浅草雷門いずれも自粛前の4割程度の人が戻ってきたらしい。4月7日に国が緊急事態宣言を出してからは確かに私たちの生活は一変した。不要不急の外出は避け、マスクの着用や手洗いとアルコール消毒の励行。日本は欧米諸国と違ってコロナの発生率・死亡率いずれも少ないのはミステリーと諸外国から言われている。これは日本人の生活スタイルや習慣そして島国などが影響しているとも言われている。これまでにも各種ウイルス感染症は世界で発症しその都度解決してきたが、今度ばかりはこれまでのものとは違って、解決への出口が全く見えてこない。ワクチンや治療薬が確立すれば何とかなりそうに思うが、早くても1年以上はおそらくかかるであろう。それまで日本経済が持ちこたえるか。ファシズムが蔓延するか。排外主義が強まるか。そんなことを恐れてしまう。
 ところで、私はコロナの影響でこれまで楽しんでいたゴルフ・プール・ジムそして旅行などすべてダメになったので、アマゾンで本を注文し下記の本を暇に任せて読んだ。それは、斜陽(太宰治)、木漏れ日に泳ぐ魚(恩田陸)、カエルの楽園(百田尚樹)、人間(又吉直樹)、デラシネの時代(五木寛之)、老人と海(ヘミングウェイ)、輝ける闇(開高健)などなど。その中で一番感動したのが南木佳士さんの「山中静夫氏の尊厳死」という小説である。南木さんのことはご存知の方もおられると思うが、彼は1951年生まれで群馬県出身。現在も長野県佐久市の総合病院の内科医をされており時折小説も書かれる。89年「ダイアモンドダスト」で第100回芥川賞を受賞された方である。この物語の主人公は肺癌患者で、すでに肝臓と腰椎に骨転移をしており余命数か月を宣告されている。生まれ故郷である浅間山の見える病院に転院してきた。主治医は今井という肺癌専門医でこれまでいやというほど末期がん患者を看取その為思い疲労感を抱えている初老の医者である。ある時、今井と山名さんの間で話し合いがなされた。それは、昼からの数時間の外出許可と治療は痛みをとるモルヒネ治療だけにして意識がなくなる程度までモルヒネを増量しないという約束であった。今井はある日、山中さんが実家の裏で浅間山が見える場所に自分の墓を造っていることに気が付く。この小説の中で「尊厳死」というものは、患者の意思や希望に出来るだけ寄り添い、最後まで優しく痛ませず苦しませぬよう自然死を迎えさせることだとわかる。その点が家族と共謀して患者を楽に死を迎えさせる「安楽死」とは違うことがこの本を読んでいくうちに自ずと理解できる。最近、小椋佳さんが「老いの願い」という曲を歌っているがその歌詞に「できれば死にかたも自分で決めたいもの 贅沢望めるなら 痛まず苦しまず逝きたいもの」「自分らしく生きた 充分生きたと今なら思う」この歌こそが尊厳死を意味していると思う。
 話は変わるが、この原稿が皆様の目に触れるころ今より新型コロナウイルスの状況が好転していることを望むばかりだ。私は眠る前の5分間、何も考えないで明日はきっと良いことが一つでもあるだろうという怠惰な幸せを感じながら目を閉じる。

2020-06-09 09:59:00

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新型コロナウイルスを憂う

 今日は朝から春雨が降っている。書斎の窓から見える山並みも靄がかかり、空もどんよりしている。私の心も重く晴れ晴れしない。ほんのひと月前の新聞の見出しに、武漢の産業集積地は新型コロナウイルスの影響で打撃を受けるという内容の記事が載っていた。それが今ではどうだ。大がかりのイベントは中止、小・中・高も異例の臨時休校、プロ野球オープン戦も無観客試合、美術館や博物館も閉館。ことの急すぎる展開に唯々驚くばかりである。
 AI(人工知能)と未知なるウイルスについて、私は庭の蕾を付けているハナミズキ、芽吹きを待っている欅の木そして新芽の出かけた芝生の上にしとしとと落ちる雨を見ながら思いを巡らせた。AIは私の関与している医療の分野ではすでにCTやMRIの画像をAIが診断してくれるしこれまで病理医が診断していた生検した組織までも診断可能となってきた。AIを構築するには必要とする分野のデータの積み重ねがないと AIは機能しない。つまり、未知なるウイルスの発生予測やはたまた治療方法は AIには無理な話である。そう考えると、現在の新型コロナウイルスを収束するには全世界の研究者が協力して治療方法を早く見つける必要がある。どんなに技術が進んでも私達人間は自然の摂理の中で生きているので、自然の摂理に基づいた、人間として望ましい生き方をすべての人が心がけることが大切であると確か、梅原 猛が言ったことを思い出していた。
 翌日は打って変わって、天気は快晴で気温も上がってきたので私達は孫を連れて近くの総合公園に出かけた。そこでは多くの家族連れがボールを蹴ったり、フラフープに興じているもの、ブランコに乗ったり、滑り台で鬼ごっこをしている子供たち。みんなみんな明るくて楽しそうに私には見えた。孫も輪の中に入れてもらい滑り台に夢中になっている。暫くして、孫が疲れたのか私の傍に来たので水筒を差し出すと美味しそうに水を飲んだ。空を見上げるとクジラ雲が西から東にゆっくりと流れていく。抱いて雲を指さすとじじという。
 昔から今の季節は不安定で三寒四温とも言われている。兼好法師も「をりしも雨風うちつづきて、心あわたたしく散りすぎぬ」と記しているように、雨が降ったり風が強く吹いたりして落ち着かない天気は心慌ただしいだけでなく、身体にも影響して私の診療所にも頭痛やめまいの患者さんがこの時期多いように思う。
 新型コロナウイルスの影響で私の心も雨模様であるがこんな時だからこそ、踵をしっかり地面につけて歩きたいものだ。そして、5月のゴールデンウイークの頃は家族と一緒に再度角島大橋、川棚温泉をドライブして、途中に本場の「瓦そば」を食べたいと心底願うばかりだ。

2020-03-11 11:11:00

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ソースの二度付けお断り

 帰宅途中の学生やサラリーマンで混雑した地下鉄を梅田で下車し2番出口の階段を上って外に出ると雨が落ちていた。そぼ降る雨の中、私は水たまりを避けるように小走りで北新地方面に歩いて行く。晩秋の雨のせいで気温は下がってきた。10分程度歩いただろうか。道路を挟んで向こう側に串カツだるまのネオンが見えた。私は急いで横断歩道を渡り、だるまの暖簾をくぐり店に入った。すると、例の「ソースの二度付けお断り」のソースの臭いが漂ってきた。カウンターに座ると粋の良いお兄さんが早速オーダーを尋ねに来た。私は串揚げセットを注文した。それとハイボールの注文も忘れなかった。もち、エビ、レンコン、牛ヘレ、キスの順に食べていった。40年前に食べていた味と当然のこと同じであった。

 私は25歳から30歳まで大阪で働いていたことがある。当時、友人とよく飲みに行ったところが新世界の串揚げだるまと神戸は三宮の餃子のひょうたんであった。だるまの串揚げはソース、衣、油が三位一体となり美味しさを醸し出している。だから、たくさん食べても胃が持たれたことはない。三宮のひょうたんも同様にいくら食べてもこちらも胃にやさしくにんにくの臭いも少ない。そう言えば、昨年甲子園に野球を見に義理の息子と行った帰りにひょうたんに立ち寄って餃子を10人前食べたが、彼も余程餃子が美味しかったのか感動してくれた。

 だるまを出ると雨はやんでいた。懐かしい串揚げを食べたせいかハイボールを飲みすぎたせいかよくわからないが心は40年前の私になっていた。その当時よく行ったお初天神の境内の傍にあったおでん屋を探したが見つからなかった。どうやら区画整理で退去したのであろう。曽根崎からJR大阪駅方面に歩いてみたが高層ビルが立ち並び昔の面影は丸ビルと阪神百貨店の前の歩道橋ぐらいと思った。

 歩道橋から空を見上げると満月が流れる雲の間から見え隠れしている。その月に向かって「どうか、妻よ、子供たちよ、孫たちよ、元気でいよう。そして、私も生ある限り医師として元気で働くことができますように」手を合わせた。

2019-12-05 18:33:00

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道程

 9月中旬の日曜日。今日は目覚めがとても良かった。なぜかというと、今日は岸和田だんじり祭りにある人から招待されたので、昼前に井原を出て岸和田に向かう予定である。楽しいことがある日は子供の時のようにウキウキする。朝庭の水やりをしていてもやはり、空は快晴で日差しもまだ強いが8月の時のような暑さはなく、風も秋の風となってきた。
 最近、私は同じような夢をよく見る。それは、犬を連れて散歩している私がいて、曲がりくねった山道を歩いている。坂を登り詰めるとやや下り坂となり真っ直ぐに続く並木道が見えてきて、並木からこぼれる木漏れ日が見えそして林から落ちる深い影とコントラストをなしている。並木道の向こうには青空が広がり民家のようなものがぼんやりと見える。この後の夢は大事なものを一生懸命探している自分がいて、細い道を行ったり、一度来た道を引き返したりしてとても慌てている私がいる。そして決まったようにそこで目が覚めそれが夢だったと自答する。夢の中の道はセピア色をしていたと思う。
 道と言えば、ここで私の大好きな高村光太郎の「道程」と題する詩を紹介しよう。
 「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる ああ、自然よ 父よ
 僕を独り立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守ることをせよ
 常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため」
 高村光太郎は1883年生まれの画家、彫刻家、詩人であり道程や智恵子抄で有名な作家です。道程とは「ある地点にたどりつくまでの道のり」という意味を持つ。光太郎は妻である智恵子と会って、彼の考え方も変わってきて智恵子と出会う前の詩と出会った後の詩では作風が変わってきたのがよくわかる。私もこれまで曲がりくねった道やいばらの道を何とか潜り抜け70歳まで辿り着いた。先程紹介した夢の中に出た並木道の向こうに見えたぼんやりとした民家まで辿り着くまで細い道を小川に沿って歩いて行こうと思っている。

2019-09-19 09:47:00

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令和元年に思う

 令和元年も1か月が経過しようとしている。最近、暑い日が続いている。5月最後の日曜日、年を取るとどうしても早く目が覚める。誰が言っていたか忘れたが、寝るのも体力が必要らしい。そう言えば、若いころは12時間でも寝られたと思う。今では6時間寝れれば御の字である。6時ごろから、自宅の芝生や花に水やりをした。その後、末娘の1歳半になる孫を連れて散歩した。近くの公園に行く道すがらバスを見ると「アフィ」と言い、クロネコヤマト宅急便を見ると「イヒ」と言う。公園について池の鯉を見ると「アヒ」と声を出す。娘のことは「カ」、家内のこと「バ」と呼ぶ。言葉が遅いのは家系らしく、私もしゃべるのが遅かったし、私の長男も遅かった。ひとしきり、公園内をよちよち歩きした後に、差し出した水を一気に飲み私を笑いながら見て、乳母車のほうを指さす。このしぐさを見ているととても癒される私であった。ベビーカーを押しながら、令和の意味由来を思い出そうとしていた。由来は万葉集の梅の花の序文にあって、安倍総理は「希望に満ち溢れた、新しい時代を切り開き、若い世代が活躍できる時代であってほしい、若者がそれぞれの花を咲かせることの出来る日本を作りたい」と述べていたと思う。6人の孫がこれから育っていくが、本当に日本が安全で美しい環境があって生活しやすい国であってほしいと自宅までの帰り道そう思った。
 話題を一か月前に戻そう。4月の終わりから10連休の大型ゴールデンウイークも特に患者さんに迷惑をかけることもなく無事に終わった。ゴールデンウイークと言えば、私は4月28日から名古屋に学会参加のため出向き、その後京都に行き、京都のホテルで令和を迎えた。平成の時は新年が明けて直ぐに小淵さんが1月8日、長男の誕生日に平成と発表したのを覚えている。激動の昭和が終わって、どちらかと言えば希薄な時代であった平成。こと私にとっては、昭和は生を受けて40年を過ごした時代。その間に、大学生を二度経験して遅咲きの医師になった時代。平成の30年間は医師として、患者のため、家族のためそして自分のために走り続けた30年であった。
 京都からの帰りの新幹線、名古屋と京都の滞在で少し疲れ気味の私は何をするでもなくボーと車窓から外の景色を眺めていた。すると、次のようなことが頭をよぎりだしてきた。
 そろそろ、下山の準備をしなくてはいけない。山の頂上に忘れ物をしてはいけない。出来れば、小さな川に沿って下山をしたい。そうすれば、のどが渇いたときに小川の水を飲めばよい。雨が降ればその雨は川に流れていくだろ。下山する道が分からなくなったら小川に沿って歩けばよい。川はきっと、きっと大河となって海へと続くであろうから。そんなことを空想していたら、突然アナウンスが飛び込んできた。「まもなく福山に到着します。」

2019-05-30 11:00:00

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71回札幌雪祭りに行ってきました。

 平成31年2月5日午後5時に札幌雪祭りすすきのアイスワールド会場内にあるきらびやかな氷の彫刻の前に私と家内が居た。井原より日没時間が約50分早いので辺りはすでに暗く、イルミネーションが幻想的だ。雪が吹雪いて舞い上がり雪に光線が当たり雪がきらきら星のようで、これをダイアモンドダストというのだろうと私は思った。すすきので雪の彫刻を堪能した後、円山公園近くの「すし善本店」に出向いた。カウンター席で、東北、酒どころの大吟醸・原酒を老舗の伝統の技が織りなす繊細な料理を肴にして杯を心地よく重ねた。

 その後の料理が、北海道を代表する毛ガニ、ウニ、蒸しアワビ、煮穴子、いくらなどのネタを私がこれまで出会ったことがない熟練寿司職人が握ってくれた。妻も職人の無駄のない動きに感動していた。美味しい料理そしてお店の雰囲気と板さんの絶妙な包丁さばきとトークに酔いしれた私たちでした。次に向かったのが、札幌雪祭り大通会場。そこには、大雪像と大氷像がドーンとそびえたっていました。ライトアップされ、場所によってはレーザービームもあって初めて雪祭りに来た私達はとても感動しました。午後10時でライトも消されるということなので大急ぎで見て回りました。ライトアップも消え、私達は札幌駅前通りを宿泊するホテルに向かって歩き出しました。気温は零下7,8度でしたが、意外と寒さを感じませんでした。雪の舞い散る札幌の街を妻と一緒に肩を並べて歩くのも悪くないと思う私でした。ホテルに23時前に帰りゆっくり入浴して冷え切った体を温めた後、部屋に設置してあるミニバーで山崎のロックを楽しんだ。31階の部屋から外を見ると雪が深々と降っている。岡山桃太郎空港を今日の午前8時15分発の千歳空港行きに乗って11時ごろには札幌駅に到着していた。札幌駅までの車中、窓から今年初めての雪を見た。自宅を6時30分過ぎに出発したから考えてみるとまだ18時間も経過していないのに、今日はいろいろ楽しんだことになる。お昼ご飯は札幌では有名なスープカレーで有名な奥田商店で満足し、夕ご飯はミシュランガイドの三星のついている「すし善本店」で飲んで、雪祭りを楽しんだ。

 これほど短時間に動いたのは我ながら感心している。窓から雪を見ていると、明日岡山に帰るのがなんとなく大儀に思えてきた。

2019-02-26 09:59:00

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平成最後の「ほそや医院だより」を思う

 今年も慌ただしく気がつけば後7日となりました。今年ほど自然の猛威に驚かされることはこれまでなかったように思います。7月の西日本豪雨による水害、その後の立て続けにきた台風による被害。そして、秋を感じる間もなくやってきた冬。ところで、院内雑誌のほそや医院だよりのことを少し紹介させていただきます。新春号と4月に発行される春季号で平成のほそや医院だよりは終わりとなります。今度は新しい元号の1号が夏季号より開始となります。平成11年7月に発行されたほそや医院だより夏季号が1号でしたのでこれも何かのご縁のような気がしてなりません。20年間私は患者の皆様に、ほそや医院だよりお届けしてきました。私は医師と患者の対話の中に真の医療があると信じ、地域に根差した医療機関として着実な健康教育をすることで患者の皆様の健康の維持に役立つという思いでこの小雑誌を「ドクターフォーラム」という素晴らしい出版社の協力のもと、これまでに80号のほそや医院だよりを出版させていただきました。とりわけ裏表紙に掲載している拙い随筆も80回となりました。私なりに開業医を続ける中で、気が付いたこと悩んでいること夢や希望を四季折々の話を交え書いてまいりました。正直言って20年の間には診療が忙しくて原稿を書くのがつらい時もありましたが何人かの患者様が医院だよりを楽しみにされ特に私の書いた随筆を感動されて何度も何度も読み返してくれた話を聞くにつけしんどいけども深夜ペンを走らせたことを思い出します。 
 来年の干支は亥年ですが亥にはどんな意味があるのでしょうか。調べてみると、「無病息災」とか生命の力が閉じた状態つまり今反映した状態を維持し守りに徹したほうが良いという意味もあるそうです。
 どうやら来年はあまり変化に富んだことをしないで健康に留意するのが良いようですね。

2018-12-27 09:16:00

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